大祓詞とは?4柱の神が罪と穢れを消していく「祓いの物語」
神社で耳にする「祝詞(のりと)」。
その中でも特に有名なのが、「大祓詞(おおはらえことば)」です。
大祓詞は、単に「悪いものを祓ってください」とお願いする言葉ではありません。
読み進めていくと、人の身に生じた罪や穢れが祓われ、川へ流され、海へ運ばれ、さらに遠い世界へ送られ、最後には完全に失われていく――そんな壮大な「祓いの物語」が描かれています。
そして、その最後の重要な場面に登場するのが、
瀬織津比売(せおりつひめ)
速開都比売(はやあきつひめ)
気吹戸主(いぶきどぬし)
速佐須良比売(はやさすらひめ)
という4柱の神々です。
この4柱は、一般に「祓戸大神(はらえどのおおかみ)」または「祓戸四神」と呼ばれています。
大祓詞を意味まで知って読んでみると、日本人が「祓う」ということをどのように考えてきたのかが見えてきます。
そもそも「大祓」とは?
大祓(おおはらえ)は、人が日々の生活の中で知らず知らずのうちに身につけた罪や穢れ、過ちなどを祓い清めるための神事です。
現在、多くの神社では年に2回行われています。
6月に行われるものが「夏越の大祓」、12月に行われるものが「年越の大祓」です。
6月には茅で作られた大きな「茅の輪」を境内で見たことがある人も多いでしょう。
人の形をした紙「人形(ひとがた)」に息を吹きかけたり、身体を撫でたりして、自分についた穢れを移す神社もあります。
神社本庁は大祓について、心身の穢れや、災厄の原因となる罪・過ちを祓い清め、本来の清らかな姿を取り戻すためのものと説明しています。現在の大祓では、神職によって大祓詞が奏上されます。(神社本庁)
大祓詞はとても古い祝詞
大祓の歴史は古く、宮中でも行われてきました。
現在唱えられている大祓詞にはいくつかの系統がありますが、その古い姿を伝えているのが、平安時代に編纂された法典『延喜式』に収められた「六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらえ)」です。
当時は6月と12月の晦日に大祓が行われ、中臣氏が大祓詞を読み聞かせました。現在のように神に向かって奏上する形とは異なる部分もあり、大祓詞そのものも長い歴史の中で形を変えています。(Wikisource)
そのため、「現在唱えられている大祓詞が、一字一句そのまま古代から変わっていない」というわけではありません。
しかし、その中心にある「罪を祓い、清らかな状態へ戻す」という考え方は受け継がれています。
大祓詞はどんなことを語っているの?
大祓詞は高天原の神々の世界から始まり、人々の世界へと話が進んでいきます。
人が暮らしていれば、さまざまな罪や過ちが生じます。
そこで祓いが行われるのですが、大祓詞の面白さはここからです。
祓われた罪が、いきなり「消滅する」わけではありません。
まず罪が取り除かれていく様子を、自然界のさまざまな現象にたとえます。
風が雲を吹き払うように。
朝霧や夕霧が晴れていくように。
大きな船を解き放って海へ押し出すように。
繁った木々を鋭い鎌で薙ぎ払うように。
こうして罪や穢れが人々のもとから取り除かれていきます。(祝詞帖)
ところが、物語はそこで終わりません。
取り除かれた罪や穢れを「その後どうするのか」まで描かれているのです。
ここから4柱の神々が登場します。
第一の神・瀬織津比売 ―― 川から海へ流す
最初に登場するのが、
「瀬織津比売(せおりつひめ)」
です。
大祓詞では、速い川の瀬にいる神として語られます。
山々から流れ落ちてきた水は川となり、やがて海へ向かいます。
瀬織津比売は、人々から祓われた罪や穢れを、その激しい川の流れに乗せて大海原へと運び出します。
現代語で簡単に表現するなら、
「人々から祓われた罪や穢れを、川の流れによって海まで運んでください」
という場面です。
水によって汚れを洗い流す。
現在の私たちにも直感的に理解しやすい「祓い」の姿です。
第二の神・速開都比売 ―― 海で呑み込む
瀬織津比売によって大海原まで運ばれた罪や穢れ。
それを待ち受けるのが、
「速開都比売(はやあきつひめ)」
です。
速開都比売は、潮の流れが集まる場所で、それらを呑み込んでしまいます。
つまり、
人から離された罪や穢れ
↓
瀬織津比売が川から海へ運ぶ
↓
速開都比売が海で呑み込む
という流れです。
しかし、まだ終わりではありません。
呑み込まれただけでは、罪や穢れは完全には失われていないのです。
第三の神・気吹戸主 ―― 根の国・底の国へ吹き放つ
次に登場するのが、
「気吹戸主(いぶきどぬし)」
です。
速開都比売が呑み込んだものを、気吹戸主は「息吹」の力によって、
「根国・底国(ねのくに・そこのくに)」
へと吹き放ちます。
現代語的に言えば、
「海に呑み込まれた罪や穢れを、さらに遠い世界へ吹き飛ばす」
という場面です。
ここで祓いの舞台は、人が暮らす地上から川へ、川から海へ、そしてついには人間の世界から遠く離れた場所へと移っていきます。
第四の神・速佐須良比売 ―― 最後に失わせる
そして最後に登場するのが、
「速佐須良比売(はやさすらひめ)」
です。
根国・底国まで送られた罪や穢れを、速佐須良比売が「さすらひ失ひてむ」と語られます。
つまり、最後には罪や穢れそのものが失われてしまう。
ここで長い祓いの流れが完了します。
大祓詞の後半を現代的に整理すると、
瀬織津比売が川から海へ流す
→ 速開都比売が海で呑み込む
→ 気吹戸主が根国・底国へ吹き放つ
→ 速佐須良比売が最後に失わせる
という、4柱の神による壮大な「祓いのリレー」になっているのです。(祝詞帖)
なぜ「消す」のではなく、ここまで運ぶのか
大祓詞の興味深いところは、罪や穢れが一瞬で魔法のように消えてしまうのではないことです。
人から離し、水に流し、海へ運び、さらに遠い世界へ送り、最後に失わせる。
しかも、その過程には川、海、潮、風といった自然の働きが登場します。
大祓詞では、祓いが自然界の大きな循環の中で進んでいくように描かれているのです。
もちろん、これは大祓詞に描かれた宗教的・神話的な世界観です。
しかし、目に見えない罪や穢れを「流れていくもの」として表現したことで、祓いという行為を非常に具体的にイメージできるようになっています。
「罪」と「穢れ」は、現代の犯罪という意味だけではない
ここで注意したいのが、大祓詞にいう「罪」です。
現代の「法律に違反した犯罪」という意味だけで考えると、大祓詞の世界観とは少しずれてしまいます。
古い『延喜式』の大祓詞には「天つ罪」「国つ罪」として具体的な罪も列挙されていました。しかし、そこには古代社会特有の宗教観や生活環境を背景としたものも含まれており、現代の法律や倫理観とそのまま対応させることはできません。(祝詞帖)
現在の大祓では、日々の生活の中で知らず知らず身についた穢れや過ち、災厄の原因となるものを祓い清めるという意味で説明されています。(神社本庁)
「半年に一度、自分自身を清らかな状態へ戻す」
と考えると、大祓が6月と12月という節目に行われる意味も分かりやすくなります。
「かしこみ、かしこみ」は大祓詞だけの言葉ではない
神社で祝詞を聞いていると、
「恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまをす)」
という言葉を耳にすることがあります。
現代語にすると、
「畏れ敬い、謹んで申し上げます」
といった意味です。
「恐み」は神の尊さや威厳を畏れ敬うこと。「白す(まをす)」は「申し上げる」という意味です。
ただし、「かしこみかしこみ」という言葉自体が大祓詞を意味するわけではありません。
神様に対して深い敬意を示す表現として、さまざまな祝詞で使われています。
大祓詞は特定の神様だけに捧げる祝詞ではない
大祓詞には瀬織津比売たち4柱が登場しますが、「瀬織津比売を祀る神社でしか唱えられない」という意味ではありません。
大祓詞は、心身の罪や穢れを祓い清めるための祝詞です。
そのため、現在ではさまざまな神社で6月と12月の大祓に奏上されています。(神社本庁)
稲荷神社だから唱えられない、天満宮だから違う、八幡宮だから使わない、というように御祭神によって限定される性質の祝詞ではありません。
大祓詞の中に登場する4柱は、むしろ「祓いそのものを担う神々」として登場しているのです。
大祓詞を知ると「祓う」の意味が変わって見える
神社へ行くと、私たちは手水で手や口を清め、神職による祓いを受け、6月には茅の輪をくぐることがあります。
「祓う」「清める」という言葉はよく聞きますが、大祓詞を読んでみると、その背後には想像以上に壮大な世界が広がっています。
人から離れた罪や穢れは、川へ。
川から海へ。
海から根国・底国へ。
そして最後には跡を残さず失われていく。
そこには、
瀬織津比売
速開都比売
気吹戸主
速佐須良比売
という4柱の神々がいます。
大祓詞は、ただ古い言葉を唱える祝詞ではありません。
人が抱えた罪や穢れをいったん手放し、自然と神々の働きによって遠くへ送り、再び清らかな状態から歩き始める。
そんな「祓い」の考え方を、川・海・風、そして4柱の神々によって描いた壮大な物語でもあるのです。
