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花園神社

仕事運, 厄除け, 家内安全, 商売繁盛, 開運
住所:東京都新宿区新宿5丁目17−3
ご祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)/宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 受持神(うけもちのかみ)
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花園神社とは?新宿の繁華街を見守り続ける「新宿総鎮守」

東京都新宿区。新宿三丁目駅を出てすぐ、伊勢丹や歌舞伎町、ゴールデン街にもほど近い場所に「花園神社(はなぞのじんじゃ)」は鎮座しています。

高層ビルや飲食店が立ち並ぶ新宿の中心部にありながら、鳥居をくぐると朱色の社殿と木々に囲まれた神社の空間が広がります。

花園神社は、江戸時代以前からこの地域に鎮座し、宿場町として発展した内藤新宿の鎮守として信仰されてきた神社です。現在も「新宿総鎮守」として知られています。(一般社団法人新宿観光振興協会)

花園神社の御祭神

花園神社には、三柱の神様が祀られています。

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
受持神(うけもちのかみ)

です。(八百万の神 – 日本の神社・寺院検索サイト)

この三柱が祀られている背景には、花園神社だけでなく、大鳥神社や雷電神社が合祀されてきた歴史があります。

中心となる倉稲魂命は、稲や穀物、食物と深く結びついた神様です。

「お稲荷さん」の御祭神として全国各地の稲荷神社で祀られ、農耕の神から、時代とともに商売繁盛や産業繁栄の神としても篤く信仰されるようになりました。

新宿という日本有数の商業の街に、稲荷信仰をルーツに持つ神社が総鎮守として鎮座しているのも興味深いところです。

花園神社はいつできたの?

実は、花園神社の正確な創建年代は分かっていません。

伝承では、徳川家康が江戸に入る以前からすでに鎮座しており、大和国・吉野山から勧請された稲荷社だったとされています。(一般社団法人新宿観光振興協会)

つまり花園神社は、現在のような巨大都市「新宿」が誕生するよりも前から、この地域に存在していたことになります。

現在の新宿の街並みからはなかなか想像できませんが、神社の方が新宿の繁華街よりもずっと古いのです。

昔は伊勢丹のあたりにあった?

花園神社は、最初から現在の場所にあったわけではありません。

寛永年間(1624〜1644年)以前には、現在の伊勢丹新宿店周辺にあたる地域に鎮座していたと伝えられています。

その後、その土地が旗本・朝倉筑後守の下屋敷に取り込まれたため、幕府へ訴え出て、現在の場所を代替地として拝領したとされています。(ホトカミ)

現在では伊勢丹から花園神社まで歩いて数分ほど。

「昔の花園神社は、あのあたりにあった」と知って新宿を歩くと、街の見え方も少し変わってきます。

なぜ「花園神社」という名前なの?

現在の社地は、かつて尾張徳川家の下屋敷に隣接し、花が咲く美しい場所だったと伝えられています。

そこから「花園稲荷」と呼ばれるようになったとされています。

また、かつては「四谷追分稲荷」「三光院稲荷」などの名前でも呼ばれていました。(一般社団法人新宿観光振興協会)

現在の「花園神社」という名前だけを見ると、花の神様を祀った神社のようにも感じられます。

しかし、その起源は稲荷信仰にある神社なのです。

「新宿総鎮守」とはどういう意味?

鎮守とは、その土地や地域を守護する神様、またはその神様を祀る神社のことです。

江戸時代、甲州街道には「内藤新宿」という宿場町が整備されました。

内藤新宿は現在の新宿という地名につながる場所で、旅人だけでなく商人や町人が集まり、大きく発展していきます。

花園神社は、その内藤新宿の鎮守として人々から信仰されてきました。(一般社団法人新宿観光振興協会)

時代が変わり、宿場町が巨大な繁華街へ姿を変えても、神社は同じ場所で新宿の街を見守り続けています。

そのため現在も「新宿総鎮守」と称されています。

花園神社と「商売繁盛」

花園神社を代表する御神徳の一つが商売繁盛です。

中心となる御祭神・倉稲魂命は、もともと稲や穀物を司る神様。

米は古代から日本人の生活を支える重要な富でもあり、稲荷信仰は農業だけでなく、商業・産業へと広がっていきました。

そして花園神社が鎮座するのは、新宿。

百貨店、飲食店、ホテル、劇場、企業、歓楽街など、あらゆる商売が集まる街です。

古くからの稲荷信仰と、巨大商業都市へ発展した新宿。

この二つが重なり、花園神社は現在も商売に携わる人々から篤く信仰されています。

花園神社といえば「酉の市」

花園神社を代表する祭りが、毎年11月の酉の日に行われる「酉の市」です。

酉の市では、商売繁盛や開運を願う縁起物の「熊手」が並びます。

小さな熊手から豪華絢爛なものまでさまざまで、購入が決まると威勢のよい手締めが響きます。

花園神社の酉の市は、境内に合祀された大鳥神社の祭礼を背景として発展してきました。

その大鳥神社の御祭神が、日本武尊です。(歌舞伎町文化プレス)

「運をかき込む」「福をかき集める」とされる熊手を求め、現在も商売をする人を中心に多くの参拝者が訪れます。

新宿観光振興協会では、花園神社の酉の市を「関東三大酉の市の一つ」と紹介しています。(一般社団法人新宿観光振興協会)

実は「芸能」と非常に縁が深い神社

花園神社には、もう一つ特徴があります。

それが「芸能」です。

境内には「芸能浅間神社」が鎮座しています。

御祭神は、

木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)。

富士山・浅間信仰と深く結びついた女神で、すでに神様の物語としても登場した木花咲耶姫命です。

花園神社が芸能と深く結びついた背景は、江戸時代までさかのぼります。

花園神社は歴史の中でたびたび火災に遭いました。

そこで社殿を再建するための資金を集める目的で、境内に芝居小屋を設け、見世物や演劇などの興行を行いました。

「三光院芝居」と呼ばれ、多くの人で賑わったと伝えられています。(一般社団法人新宿観光振興協会)

つまり花園神社と芸能との関係は、現代になって突然生まれたものではないのです。

新宿という街だからこそ芸能信仰が育った

その後、新宿は劇場、映画館、寄席、ライブハウスなどが集まる、日本を代表する芸能・娯楽の街へ発展しました。

花園神社の境内にある芸能浅間神社にも、俳優、歌手など芸能に携わる人々からの奉納が見られます。(歌舞伎町文化プレス)

「芸能の上達を願う神社」というだけでなく、

江戸時代の芝居興行
↓
新宿の劇場文化
↓
現代の芸能・音楽

と、街の歴史そのものが神社の信仰と重なっているところが花園神社の面白さです。

境内にある「威徳稲荷神社」

花園神社の境内には「威徳稲荷神社(いとくいなりじんじゃ)」も鎮座しています。

朱色の鳥居が連なるため、花園神社を訪れた際に印象に残りやすい場所です。

本社だけでなく、芸能浅間神社や威徳稲荷神社などの境内社も一緒に参拝すると、花園神社がさまざまな信仰を集めてきたことがよく分かります。

花園神社は「芝居の神社」でもあった

花園神社と芸能との関係を象徴するのは、芸能浅間神社だけではありません。

火災のたびに復興のための芝居興行を行ってきた歴史そのものが、神社と演劇を結びつけました。

神社の境内は祈るだけの場所ではなく、ときには地域の人々が集まり、芝居を楽しみ、神社を支える場所でもあったのです。

現在の新宿が「演劇の街」「エンターテインメントの街」になったことを考えると、偶然とはいえ非常に面白い歴史の重なりを感じます。

戦争で社殿を焼失

花園神社も、第二次世界大戦の戦災を免れることはできませんでした。

1945年、空襲によって社殿は焼失。

現在見られる社殿は、戦後の昭和40年(1965年)に建立されたものです。(一般社団法人新宿観光振興協会)

現在の朱色の美しい社殿だけを見ていると分かりませんが、花園神社は火災や戦災による焼失と再建を何度も経験してきました。

それでも新宿の街とともに復興してきた神社なのです。

江戸時代の唐獅子が残っている

境内には、文政4年(1821年)に造られた一対の銅製唐獅子像があります。

内藤新宿の氏子たちによって奉納されたもので、新宿区指定有形文化財となっています。(猫の足あと)

現在の社殿は戦後に再建されたものですが、こうした文化財を見ると、花園神社と新宿の人々との関係が江戸時代から続いてきたことを感じられます。

花園神社のご利益は?

三柱の御祭神と長い信仰の歴史から、花園神社では特に、

商売繁盛
仕事運
開運
厄除け
家内安全

などを願う参拝と相性のよい神社といえるでしょう。

なかでも、稲荷信仰を背景とする「商売繁盛」と、酉の市に象徴される「開運」は花園神社らしい願いです。

さらに芸能浅間神社では、芸能・芸事に関わる人々からの信仰が集められています。(一般社団法人新宿観光振興協会)

新宿の街そのものと一緒に歩んできた神社

花園神社の魅力は、古い神社であることだけではありません。

もともとは稲荷社として祀られ、宿場町・内藤新宿の鎮守となり、火災に遭えば芝居興行によって再建資金を集め、やがて芸能との縁を深めていきました。

そして内藤新宿は、現在の巨大都市・新宿へ。

農耕や食物と結びついた倉稲魂命を祀る神社が商売繁盛の信仰を集め、境内で行われた芝居が芸能信仰へつながっていく。

神社の姿もまた、新宿という街の変化とともに少しずつ変わってきました。

新宿三丁目の鳥居をくぐったとき、目の前にあるのは都会の中に偶然残った神社ではありません。

新宿がまだ現在のような街になる以前から、人々の暮らしと商いを見守り、街と一緒に歩み続けてきた「新宿総鎮守」なのです。