烏森神社とは?新橋の街を見守る、平将門の乱を起源とする古社
東京・新橋。高層ビルや飲食店が密集する街の一角に、細い参道を抜けると突然姿を現す神社があります。
「烏森神社(からすもりじんじゃ)」です。
JR新橋駅から徒歩わずか2〜3分。現在では新橋の守り神として親しまれていますが、その創建伝承をたどると、平安時代に起きた「平将門の乱」へと行き着きます。
しかも創建に関わったと伝えられるのは、将門を討った武将・藤原秀郷。
白狐から授けられた一本の矢と、夢に現れた神のお告げ、そして森に群がる烏――。
都会の小さな神社には、意外なほど古い物語が残されています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
烏森神社はどんな神社?
烏森神社は、東京都港区新橋二丁目に鎮座する神社です。
現在の御祭神は、
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
の3柱です。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
もともとは「烏森稲荷」と呼ばれていました。
中心となる倉稲魂命は、稲や穀物と深く関係する神。一般に宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と同神とされ、全国の稲荷神社で広く信仰されています。
そこに、天岩戸神話で舞を披露した天鈿女命と、天照大御神の孫として天孫降臨を行った瓊々杵尊が祀られています。
烏森神社では、商売繁盛、技芸上達、家内安全、必勝祈願の成就、至難超克、繁栄無窮、諸事円満、富貴繁栄などを御神徳として掲げています。特に天鈿女命を祀ることから、芸能・技芸とも縁の深い神社です。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
始まりは平将門の乱
烏森神社の創建伝承は、天慶3年(940年)にさかのぼります。
この時代、関東では平将門が朝廷に対して反乱を起こしていました。
将門討伐に向かった武将の一人が、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)です。
「俵藤太(たわらのとうた)」の名でも知られ、後世には大ムカデを退治した英雄としても語られる人物です。
烏森神社の由緒によると、秀郷は戦いに際して武蔵国のある稲荷に戦勝を祈願しました。
すると、白狐が現れます。
白狐は秀郷に「白羽の矢」を授けたと伝えられています。
秀郷はその矢を携えて戦い、平将門の乱を鎮めることができたとされています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
ここで注意したいのは、烏森神社に平将門が祀られているわけではないということです。
烏森神社の創建伝承に将門が登場するのは、あくまで藤原秀郷が「将門の乱を鎮めた」という歴史的背景によるものです。
白狐が夢に現れ、「烏が群がる場所」を示した
戦いを終えた藤原秀郷は、祈願が成就したことへの感謝から、稲荷の神を祀る社を建てようとしました。
すると、再び白狐が夢に現れます。
烏森神社に伝わる由緒では、白狐は秀郷に「神烏(しんう)が群がる場所が霊地である」と告げました。
秀郷が桜田村の森までやって来ると、夢のお告げの通り、多くの烏が群がっていました。
そこで社を造営したのが「烏森稲荷」の始まりと伝えられています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
白狐によって始まり、烏によって鎮座地が示される。
現在の烏森神社の名前にもつながる、印象的な創建伝承です。
なお、これは烏森神社に伝えられている創建伝承であり、940年の創建過程が史料によってすべて確認されているという意味ではありません。
なぜ「烏森」という名前なの?
実は「烏森」という名前には、創建伝承とは別に地形に由来する説明も伝わっています。
現在の新橋周辺は、かつて武蔵国桜田村と呼ばれ、江戸湾に近い砂浜と松林が広がる土地でした。
この一帯は「枯州の森」「空州の森」と呼ばれ、さらに松林には多くの烏が集まり、巣を作っていたといいます。
そこから「烏の森」と呼ばれるようになり、「烏森」という地名になったと烏森神社は説明しています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
現在の新橋駅には「烏森口」があります。
ビルに囲まれた現在の景色からは想像しにくいですが、その名前には、かつてこの場所に松林が広がり、烏が群れていた時代の名残が残っているのです。
御祭神① 倉稲魂命
烏森神社の中心となる御祭神が、
「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」
です。
稲や穀物、食物と深く関係する神で、一般には『古事記』に登場する宇迦之御魂神と同神とされています。
稲荷信仰の中心となる神として全国各地で祀られ、農業だけでなく、時代が進むにつれて商売や産業を守護する神としても広く信仰されるようになりました。
烏森神社がかつて「烏森稲荷」と呼ばれていたことにも、この神を祀る神社としての歴史が表れています。
現在でも烏森神社を代表する御神徳の一つが「商売繁盛」です。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
御祭神② 天鈿女命
二柱目が、
「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」。
天岩戸神話で活躍する女神です。
天照大御神が天岩戸に隠れ、世界が暗闇に包まれたとき、岩戸の前で舞を披露したのが天鈿女命でした。
その舞によって集まった神々が大いに盛り上がり、その騒ぎを不思議に思った天照大御神が岩戸を少し開きます。
そこから天照大御神を外へ導き出す作戦が進んでいきます。
こうした神話から、天鈿女命は芸能・舞踊・技芸と深く結びつく神として信仰されるようになりました。
烏森神社も、天鈿女命を「芸能の神」として崇められる神と説明し、同神を祀る数少ない神社の一つとしています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
御祭神③ 瓊々杵尊
三柱目が、
「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」です。
天照大御神の孫にあたり、天上の高天原から地上へ降り立った「天孫降臨」の主人公です。
木花之佐久夜毘売命と結ばれ、その子孫は彦火火出見尊、鵜葺草葺不合命へと続き、やがて初代天皇とされる神武天皇へとつながっていきます。
烏森神社では倉稲魂命・天鈿女命とともに御祭神として祀られています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
江戸の大火でも焼けなかった烏森稲荷
烏森神社の信仰をさらに広めたと伝えられている出来事があります。
明暦3年(1657年)の「明暦の大火」です。
俗に「振袖火事」とも呼ばれる、江戸の大部分を焼いた大火でした。
烏森神社によれば、周囲が焼け野原となる中、烏森稲荷は類焼を免れたと伝えられています。
人々はこれを神威によるものと考え、その後、烏森稲荷への信仰はいっそう篤くなったとされています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
「火災から免れた神社」という記憶も、新橋の人々に長く信仰される理由の一つとなりました。
「江戸三森」の一社
烏森神社は、
日本橋の「椙森神社(すぎのもりじんじゃ)」
神田の「柳森神社(やなぎもりじんじゃ)」
とともに、「江戸三森」の一社として古くから崇敬されてきました。
江戸時代には稲荷信仰が非常に盛んになり、烏森稲荷も大きな賑わいを見せます。
烏森神社が紹介する『祠曹雑識』の稲荷番付では、百余りの稲荷の中で烏森稲荷は「東の関脇」に位置づけられ、祭りの賑わいも江戸で一、二を争ったとされています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
明治6年(1873年)には、それまでの「烏森稲荷」から現在の「烏森神社」へと社名が改められました。
現在の社殿は昭和46年(1971年)に造営されたものです。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
新橋を代表する「烏森祭」
現在の烏森神社の例大祭は、毎年5月4日・5日・6日に行われます。
江戸時代までは稲荷信仰に従って2月の初午が例祭日でしたが、明治以降、現在の日程へと変わりました。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
祭りの大きな見どころが本社大神輿です。
昭和5年(1930年)に制作された「八つ棟型」と呼ばれる珍しい形の大神輿で、「千貫神輿」の通称でも知られます。現在は原則として2年に一度、5月5日に新橋の氏子地域を渡御します。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
普段はビジネス街として知られる新橋が、神輿と祭囃子の街へと姿を変える日です。
4色から選ぶ「心願色みくじ」
現在の烏森神社で特に知られているのが「心願色みくじ」です。
願い事によって色が分けられており、
赤=恋愛・良縁、黄=金運・幸運・商売、青=厄除・仕事・学業・技芸、緑=健康・家庭
の4色があります。
選んだ色のおみくじと同色の「願い玉」「願い札」が授与され、願い札には同じ色のペンで願い事を書きます。その願い札は、後日神職によって成就祈願が行われます。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
烏森神社の通常御朱印にも、赤・黄・青・緑の四色の巴と神烏の社紋が使われています。季節や祭事に合わせた特別御朱印も授与されています。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
白羽の矢の伝説は現在にも残っている
創建伝承に登場した「白狐から授けられた白羽の矢」は、現在の授与品にも受け継がれています。
烏森神社には「心願 導きの白羽」という授与品があり、平将門の乱の際に藤原秀郷が白狐から白羽の矢を授かり、乱を鎮めることができたという伝承にちなんだものです。
現在は商売繁盛祈願と開運厄除祈願があります。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
千年以上前の創建伝承が、形を変えながら現在の信仰にも残されているのです。
烏森神社のご利益
烏森神社が公式に挙げている御神徳は、商売繁盛、技芸上達、家内安全、必勝祈願の成就、至難超克、繁栄無窮、諸事円満、富貴繁栄です。 (烏森神社 | 東京新橋に鎮座する「烏森神社」)
12分類に当てはめるなら、特に相性がよいのは、
商売繁盛・仕事運・家内安全・勝負運
でしょう。
倉稲魂命による商売繁盛、天鈿女命による芸能・技芸上達、そして藤原秀郷の戦勝伝承による必勝祈願と、異なる信仰が一つの神社に重なっています。
ビルの谷間に残された「烏の森」
現在の烏森神社の周囲に、かつての松林を見ることはできません。
江戸湾の砂浜も、烏が群がったという森も姿を消し、周囲には新橋のビルや飲食店が建ち並んでいます。
それでも「烏森」という名前は神社と新橋駅の出口に残っています。
平将門の乱に向かう藤原秀郷。
戦勝を祈願した稲荷の神。
白狐が授けた白羽の矢。
夢の中で告げられた「神烏の群がる場所」。
そして、そこで始まったと伝えられる烏森稲荷。
烏森神社は、東京を代表するビジネス街の真ん中にありながら、平安時代から江戸、そして現代の新橋へと続く信仰の記憶を今に伝える神社なのです。
