KANAE

応神天皇(おうじんてんのう)

おうじんてんのう
おうじんてんのう
勝運/ 仕事運/ 厄除け/ 開運/ 家内安全/ 交通安全/ 商売繁盛

応神天皇(おうじんてんのう)とは?八幡さまとして全国で信仰される天皇

応神天皇(おうじんてんのう)は、第15代天皇として『古事記』や『日本書紀』に登場する人物です。

全国各地にある八幡宮・八幡神社では、八幡神と深く結びつく存在として祀られ、「誉田別命(ほんだわけのみこと)」の名でも知られています。

ここで少し不思議なのが、

「天皇だった人が、なぜ神社で神様として祀られているの?」

ということです。

しかも応神天皇が、生前に数々の戦いに勝利したから「武運の神」になった、という単純な話でもありません。

応神天皇が現在のように八幡さまとして信仰されるようになった背景には、千年以上にわたって発展してきた「八幡信仰」があります。

応神天皇は実在した人物なの?

応神天皇は『古事記』『日本書紀』では第15代天皇として記されています。

一般に4世紀末から5世紀ごろに位置づけられる古代の天皇ですが、あまりにも古い時代であるため、その生涯を現代の歴史人物と同じように史料からすべて確認できるわけではありません。

そのため、実在した可能性のある古代の王と考えられる一方、その生涯については歴史と伝承が重なり合っている人物でもあります。

日本神話の最初から神として登場する天照大御神や須佐之男命とは、少し性格の異なる存在です。

神功皇后の御子として誕生

応神天皇の母として知られているのが、神功皇后(じんぐうこうごう)です。

父は第14代天皇とされる仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)。

『古事記』『日本書紀』には、その誕生をめぐって神秘的な物語が残されています。

仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は身重のまま海を渡って新羅へ向かったとされ、その後、筑紫へ戻って応神天皇を出産したと伝えられています。

史実としてそのまま受け取れる物語ではありませんが、応神天皇が古くから特別な存在として語られてきたことが分かります。

人間だったのに、なぜ神様になったの?

日本の神社では、神話に登場する神々だけが祀られているわけではありません。

実在した人物や天皇が、亡くなった後に神として祀られることもあります。

菅原道真公を祀る天満宮や、明治天皇を祀る明治神宮などが分かりやすい例です。

応神天皇も、もともとは天皇として伝えられる存在です。

ただし応神天皇の場合、「生前にこれを成し遂げたから神になった」と一つの出来事で説明できるものではありません。

重要なのは、後世に応神天皇が「八幡神」と結びついていったことです。

もともと八幡神は別の神だった?

八幡信仰の中心となったのが、現在の大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮です。

八幡神は古くから宇佐地方を中心に信仰され、やがて朝廷とも深く関わる重要な神となっていきました。

そして長い信仰の歴史の中で、八幡神と応神天皇が結びつき、応神天皇を八幡神として祀る信仰が成立していきます。

つまり、

応神天皇が亡くなった
↓
すぐに八幡神になった

という単純な流れではありません。

もともと存在した八幡信仰が発展していく中で、応神天皇という古代の天皇と結びつき、やがて「八幡大神=応神天皇」という信仰が広く定着していったのです。

現在の宇佐神宮でも、応神天皇は「八幡大神」としてお祀りされています。

では、なぜ「武運の神」なの?

ここも誤解しやすいところです。

応神天皇自身が、生前に圧倒的な武勇を示したため武神になった、というわけではありません。

八幡神が武運の神として広く知られるようになった背景には、その後の武士たちとの関係があります。

特に八幡神を篤く崇敬したことで知られるのが源氏です。

源氏は八幡神を氏神として崇敬し、源頼朝が鎌倉幕府を開くと、鶴岡八幡宮も武家社会の重要な信仰の中心となりました。

こうして八幡信仰と武士の結びつきが強まり、八幡神は「武家の守護神」「武運の神」として全国へ広がっていきました。

つまり、応神天皇の武神としての性格は、本人の生前の武功というよりも、後世の八幡信仰の歴史によって形づくられていったものなのです。

全国へ広がった「八幡さま」

八幡信仰はその後、日本全国へと広がりました。

大分県の宇佐神宮。

京都の石清水八幡宮。

鎌倉の鶴岡八幡宮。

そのほかにも全国各地に「八幡宮」「八幡神社」と呼ばれる神社があります。

地域の鎮守として祀られることも多く、八幡さまは日本人にとって非常に身近な神様となっていきました。

そのため現在では武運や勝負だけでなく、厄除け、家内安全、交通安全、仕事や産業など、幅広い願いと結びついています。

今戸神社にも祀られる応神天皇

東京・浅草の今戸神社にも、応神天皇がお祀りされています。

現在の今戸神社は縁結びや招き猫で有名ですが、その歴史をさかのぼると「今戸八幡」と呼ばれていました。

康平6年(1063年)、源頼義・義家父子が奥州へ向かう際、京都の石清水八幡宮を勧請したことが始まりと伝えられています。

そのため今戸神社に応神天皇がお祀りされているのも、八幡信仰とのつながりによるものです。

現在では伊弉諾尊・伊弉冉尊などとともに御祭神としてお祀りされています。

応神天皇のご利益

応神天皇は八幡神としての長い信仰を背景に、

勝運
仕事運
厄除け
開運
家内安全
交通安全
商売繁盛
事業繁栄

などの願いと結びついています。

ただし、実際の御神徳や祈願内容は、それぞれの八幡宮・八幡神社によって異なります。

一人の天皇から「全国の八幡さま」へ

応神天皇は、最初から「武運を司る神」として神話に登場した存在ではありません。

古代の天皇として伝えられた人物が、宇佐を中心に発展した八幡信仰と結びつき、さらに朝廷や武士たちの信仰を受けながら、その神格を大きくしていきました。

だからこそ、応神天皇を知る面白さは、生前の一つの英雄物語にあるというより、むしろその後の歴史にあります。

古代の天皇。

宇佐の八幡信仰。

朝廷から崇敬された神。

源氏をはじめとする武士の守護神。

そして全国の町や村を守る「八幡さま」。

長い時代の中でさまざまな信仰が重なり、現在の八幡神へとつながっていった。

応神天皇は、一人の人物が長い歴史の中で神として信仰され、日本全国へ広がっていったことを知ることのできる、とても興味深い存在なのです。

関連する神社