根津神社とは?日本武尊が創建したと伝わる東京・根津の古社
東京都文京区根津に鎮座する根津神社(ねづじんじゃ)。
朱塗りの楼門や唐門、緑に囲まれた社殿、春になると一面を彩るつつじ、そして乙女稲荷神社へと続く鳥居の風景でも知られる神社です。
しかし根津神社の歴史をたどると、その始まりは江戸時代よりはるか昔へとさかのぼります。
根津神社に伝わる創建伝承に登場するのは、日本武尊(やまとたけるのみこと)。
東国へ向かった日本武尊が、須佐之男命の神徳を仰ぎ、現在の千駄木付近に神を祀ったことが始まりと伝えられています。
その後、太田道灌、徳川綱吉、徳川家宣など、時代を代表する人物たちと関わりながら現在へと続いてきました。現在の社殿は1706年に造営されたもので、江戸時代の神社建築を今に伝える貴重な存在でもあります。(根津神社HP)
根津神社にはどんな神様が祀られている?
根津神社の主祭神は三柱です。
須佐之男命(すさのおのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
さらに相殿には、
大国主命(おおくにぬしのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
が祀られています。(根津神社HP)
須佐之男命は、八岐大蛇を退治したことで知られる日本神話を代表する神。
大山咋命は山や土地と深く結びつき、日吉・日枝信仰の中心となった神。
誉田別命は第15代・応神天皇とされ、八幡神として全国で広く信仰される神です。
そこに国造り・縁結びで知られる大国主命、学問の神として信仰される菅原道真公が加わります。
実はこの三柱の主祭神には、根津神社がかつて「根津権現」と呼ばれていた歴史が関係しています。
根津神社を創建したのは日本武尊?
根津神社の社伝では、今から1900年以上前、日本武尊が東国へ向かう途中、武神である須佐之男命の神徳を仰ぎ、千駄木の地に創祀したと伝えられています。(根津神社HP)
ここで重要なのは、
「日本武尊が御祭神なのではない」
ということです。
日本武尊は根津神社の創建伝承に登場する人物であり、現在の根津神社の御祭神五柱には含まれていません。
日本武尊といえば、東国征討へ向かい、草薙剣によって野火を切り抜け、各地を巡った伝説を持つ英雄。
その東征の途中で須佐之男命を祀った――というのが根津神社に伝わる始まりなのです。
ただし、これは古代の出来事として歴史的に実証された創建年代ではなく、あくまで神社に伝わる創建伝承として見る必要があります。
日本武尊と須佐之男命には「草薙剣」というつながりもある
この組み合わせは、日本神話を知っていると興味深く見えてきます。
須佐之男命は八岐大蛇を退治した際、その尾から一振りの剣を発見します。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。
須佐之男命はこれを天照大御神に献上します。
そして時代が下り、東国へ向かう日本武尊が伊勢で授けられたのが、この天叢雲剣でした。
日本武尊は野火に囲まれた際、この剣で草を薙いで危機を脱したとされ、剣はやがて「草薙剣」と呼ばれるようになります。
つまり、
須佐之男命が八岐大蛇から得た剣が、
後に日本武尊を救う剣となる。
根津神社の創建伝承では、その日本武尊が須佐之男命を祀ったことになっています。
二柱の神話を知ったうえで根津神社の由緒を読むと、非常に印象的な組み合わせです。
太田道灌も社殿を建てた
根津神社の歴史に次に登場する重要人物が、太田道灌です。
室町時代の文明年間(1469〜1487年)、太田道灌が社殿を奉建したと根津神社は伝えています。(根津神社HP)
太田道灌は江戸城を築いたことで知られる武将。
日本武尊の創建伝承から始まった根津神社は、中世になると江戸周辺を代表する武将とも関わりを持つようになります。
昔は「根津権現」と呼ばれていた
現在は「根津神社」ですが、神仏習合の時代には「根津権現社」と呼ばれていました。
当時は、
素盞烏尊
山王大権現
八幡大菩薩
を祀り、「根津三社大権現」と呼ばれていました。
素盞烏尊は現在の須佐之男命。
山王大権現は大山咋命。
八幡大菩薩は誉田別命。
つまり現在の三柱の主祭神へとつながっています。
さらに当時は、須佐之男命の本地を十一面観音菩薩、大山咋命の本地を薬師如来、八幡神の本地を阿弥陀如来とする神仏習合の信仰がありました。(根津神社HP)
明治時代の神仏分離を経て「根津権現社」から「根津神社」へと改称され、現在に至ります。(根津神社HP)
現在の根津神社は、もともと徳川家の屋敷だった
根津神社は、最初から現在の場所にあったわけではありません。
創建伝承の地は千駄木。
一方、現在の根津神社がある場所には、江戸時代、徳川綱重の屋敷がありました。
綱重は三代将軍・徳川家光の三男で、五代将軍・徳川綱吉の兄。
そしてこの屋敷で生まれたのが、綱重の子・徳川綱豊です。
この綱豊が、後の第六代将軍・徳川家宣となります。(根津神社HP)
徳川綱吉が根津神社を現在地へ移した
五代将軍・徳川綱吉には男子の後継者がいませんでした。
そこで1705年、兄・綱重の子である綱豊を養嗣子とします。
綱豊にとって根津神社は産土神でした。
そこで綱吉は、綱豊が生まれた屋敷の土地を根津神社へ献納し、新しい社殿を造営します。
そして宝永3年(1706)、千駄木の旧社地から現在地へ遷宮されました。
さらに綱吉は永代社領500石を寄せています。(根津神社HP)
現在の根津神社の壮麗な姿には、徳川将軍家が深く関わっているのです。
1706年の社殿が今も残っている
根津神社の大きな魅力の一つが、現在も残る江戸時代の建築です。
本殿・幣殿・拝殿を一体的に構成する「権現造」の社殿をはじめ、
本殿
幣殿
拝殿
唐門
西門
透塀
楼門
の7棟が国の重要文化財となっています。文京区も、宝永3年(1706)の建築として国指定文化財に掲載しています。(文京区公式サイト)
朱塗りの楼門をくぐり、唐門の向こうに社殿を見る景色には、300年以上前の江戸の神社建築がそのまま重なっています。
なぜ「権現造」というの?
権現造は、本殿と拝殿の間に「石の間」や幣殿などを設け、一体化させる神社建築の形式です。
日光東照宮などでも知られています。
根津神社の社殿は、この権現造の完成された姿を伝える建築として評価されています。文京区も「権現造りの完成形」と紹介しています。(文京区公式サイト)
「根津権現」という昔の呼び名と「権現造」は言葉が同じなので混同しやすいですが、
根津権現=神仏習合時代の呼称
権現造=建築様式
という別の話です。
境内に続く「千本鳥居」
根津神社で特に印象に残る場所の一つが、朱色の鳥居が連なる参道です。
この鳥居があるのは、本殿そのものではなく境内社である乙女稲荷神社へ続く場所。
乙女稲荷神社の御祭神は、
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
稲荷信仰の中心となる穀物・食物の神です。根津神社公式サイトでも、乙女稲荷神社の御祭神を倉稲魂命としています。(根津神社HP)
朱色の鳥居が連続して坂を下っていく風景は、本社の荘厳な楼門や唐門とはまた違った雰囲気があります。
もう一つの境内社「駒込稲荷神社」
境内には駒込稲荷神社もあります。
こちらの御祭神は、
伊弉諾命
伊弉冊命
倉稲魂命
級長津彦命
級長戸辺命
の五柱です。(根津神社HP)
伊弉諾命・伊弉冊命という国生みの神々に加え、食物神・倉稲魂命、さらに風を司る神々が祀られています。
本社だけでなく境内社まで見ると、根津神社には非常に多彩な神々が祀られていることが分かります。
根津神社はなぜ「つつじ」で有名なの?
根津神社といえば、つつじを思い浮かべる人も多いでしょう。
その始まりは、現在地がまだ徳川綱重の屋敷だった時代にさかのぼります。
屋敷西側の丘に、つつじの名所だった館林からキリシマツツジを移植したことが始まりと伝えられています。
ただし、現在見られるつつじの多くが江戸時代からそのまま残っているわけではありません。
戦後、荒れていた丘に約3,000株が増植され、昭和45年(1970)から「文京つつじまつり」が開催されています。現在は約100種類・3,000株のつつじが植えられています。(根津神社HP)
徳川家宣の「胞衣塚」も残っている
境内には少し珍しいものも残っています。
「徳川家宣胞衣塚(とくがわいえのぶ えなづか)」です。
胞衣とは、出産後の胎盤などを指す言葉。
この地で生まれた徳川家宣の胞衣を納めたと伝わる塚で、現在は文京区指定有形民俗文化財となっています。(文京区公式サイト)
現在の根津神社が単に徳川家によって建て直された場所なのではなく、もともと家宣の出生地だったことを伝える史跡でもあります。
根津神社の祭りは「天下祭」と呼ばれた
根津神社と徳川家との関係は、社殿だけではありません。
六代将軍となった徳川家宣は、根津神社の祭礼を9月21日と定めました。
正徳4年(1714)には江戸全町から山車が出る壮大な祭礼が行われ、山王祭・神田祭と並んで「天下祭」と呼ばれました。
現在残る三基の大神輿も、このとき家宣が奉納したものです。(根津神社HP)
根津神社のご利益
根津神社は五柱の神々を祀っているため、一つの御神徳だけに限定される神社ではありません。
須佐之男命は厄除けや災難除け、大山咋命は山・土地・産業、誉田別命は国家・武運・守護、大国主命は縁結びや国造り、菅原道真公は学問と深く結びついて信仰されてきました。
そのため現在の分類に当てはめるなら、
厄除け
開運
家内安全
仕事運
学業成就
恋愛成就
などと結びつけて考えることができます。
ただし、根津神社公式サイト自身は五柱について「御神徳は広大無辺」としており、特定の一つのご利益だけを前面に出しているわけではありません。(根津神社HP)
日本武尊から徳川将軍家へ
根津神社の歴史をたどると、時代が大きく移り変わっていきます。
始まりに登場するのは、日本武尊。
その日本武尊が須佐之男命を祀ったという創建伝承があり、中世には太田道灌が社殿を奉建。
江戸時代には「根津権現」として信仰され、徳川綱吉が現在地に壮麗な社殿を造営します。
そして六代将軍・徳川家宣の産土神として、徳川将軍家から厚い崇敬を受けました。
現在でも、1706年に造られた社殿、朱塗りの楼門や唐門、境内を囲む透塀が残り、その周囲には乙女稲荷神社の鳥居やつつじの丘が広がっています。
日本神話の英雄・日本武尊の伝承から始まり、江戸の将軍家の歴史へ。
根津神社は、神話の世界と江戸の歴史が一つの境内で重なり合う、東京を代表する古社の一つなのです。
